商店街の福引やスーパーなどでくじ引きなどの催し物を開催すると
地域や店にとって大きな宣伝になるものですが、そのような福引やくじ引きというのは
別の抽選会会場を設けて実施することが多いだけに、できるだけわかりやすい場所に設置をする必要があります。
通常であればすぐにわかるところであったり、抽選券の裏などに
会場の場所を記載していたりすることが多いので、わかりづらいということは
ないのですが、会場自体が抽選券の配布をした場所から離れていると、すぐにはわからないことがあります。
そのような時に便利なものがのぼりで、のぼりがあるだけで
一目見て抽選会場がどこにあるのかということをアピールすることができるのです。
のぼりというのは普段、意識して眺めないものですが
何かを探している人にとっては非常に目に付きやすく、
目印としては非常に優秀なものになっています。
また、費用がそれほどかかるものではないため、
手軽にアピールをするための存在としてのぼりは
非常に優秀なものになっているのです。
より目立たせたいのであれば、デザインに金や銀を施したり
遮光生地を使って両面別柄にするのもお勧めです。
のぼりはシンプルな宣伝ツールですが、工夫次第で大いに威力を発揮してくれるのです。
のぼり旗が活用されるくじ引きはスーパーのイベントにかぎらず、日本でも古くから行われてきた行事です。
幕府の将軍がくじ引きで選ばれたことも日本の長い歴史の中ではあります。
その舞台となったのが石清水八幡宮という神社です。
この神社は現在、京都府内にありますが、もともと大分県の神社から勧請された歴史を持ち、現在でも京都の南西部に位置しています。
平安時代から存在する由緒ある神社であることから、この神社はさまざまな歴史上のエピソードの舞台になったこともあります。
この場所でくじ引きが行われたのも、それを選ぶにふさわしい立派な伝統があったからです。
足利第四代将軍義持には足利義量という嫡子がいましたが、義量は義持の後をついで十代の若さで第五代の将軍となりました。
けれども義量は生まれつき体が弱かったため、それから数年もたたないうちに、二十歳になる前に亡くなってしまいました。
父親の義持は義量が亡くなった後、再び自分が将軍としての実権を握ったのですが、
彼は他に男子の子供がいなかったことから死ぬまで自分の後継者を選びませんでした。
そのために、足利家の家臣たちは会議を開いたのちに、くじ引きで次の将軍を選ぶことにしました。
このとき、第六代将軍に選ばれたのが足利義教です。
彼はくじ引きで選ばれたとき、出家して門跡の身分となっていましたが、再三の辞退のあとに
とうとう将軍になることを承諾し、還俗して第六代将軍になりました。
義教が将軍になってからすでに500年以上の年月が経過していますが、くじ引きは日本人に根強い人気があり、
くじ引きが行われる会場には毎回、多くの目立つのぼりが立てられています。
武将とのぼり旗の関わり合いや活用の移り変わりには、奥深い物があるようです。
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